はぐに入会してから知った言葉に「ACP」があります。

日本医師会のHPによると『ACP(Advance Care Planning)とは、将来の変化に備え、将来の医療及びケアについて、 本人を主体に、そのご家族や近しい人、医療・ ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、本人による意思決定を支援するプロセスのことです。』だそうです。

文章が形式張って分かりにくいですね。シンプルに言うと「その人らしい亡くなり方について、皆で良く話しておきましょう」といった所でしょうか。

医療や介護関係の方なら知っていて当然の言葉なのかもしれませんが、私は全く知りませんでした。

ACPで思うのは一番身近な家族の死です。

天寿を全うしたと言ってもよい4人の祖父母は、その人らしく逝ったと思います。しかし、定年を前にこの世を去った父はそうではありませんでした。

わずかな余命を宣告されている事実も知らされずに、目に見えて弱っていく本人を目の前にして、最後にどうしたいのか?なんて、とても聞ける雰囲気ではありませんでした。

父は自分の死を感じているのか?それとも完治して今まで通りの生活をするつもりでいるのか?

もし、父が自分の病気について気づいているなら、何もかも腹を割って最後の話をした方が良いのではないのか?いや、知らないからこそ平静を保っていられるのかもしれない…

もともと家族に対して口数が少ない父の気持ちは、私には想像することもできず、その心の内も知らぬまま、最後まで病室での会話には神経をすり減らせました。

ACPでは患者さんが終末期を受け入れている前提となるので、父の場合は少し話が違うかもしれませんが、ある日突然終末期が訪れることもあり得るわけです。

もし元気な時に、そのような状況に置かれた時の話が出来ていたなら、残された時間をお互いにとってもっと有意義に過ごせたのかもしれません。

皆さんは、もしもの時の話はしていますか?

ACPを期に思い起こされる20年前の桜の季節、忘れられない出来事です。