私は訪問看護師として20年以上おもに高齢者と関わっていますが、学生時代は小児看護に魅せられ、迷いなく小児病院に就職しました。
そこには先天性疾患(肛門がない、心臓に穴が開いている、腸がお腹に出ている、脳が半分しかない、男の子か女の子かわからない、などなど)を持って生まれた子、健康に生まれても大病を患った子どもたち。毎日のように誰かが亡くなっていく病棟。
特に小学生でガンになってしまった子は辛かった。
私の耳元で「苦しいよ」って言ったのが最期の言葉になったミオ。どんなに必死に心臓マッサージしても二度と還ってくることはなかった。ミオが作ってくれたブローチは今でもどこかにあるよ。
深夜入りの帰り際「ワタナベ看護婦さーん!!」って呼んでくれたけど、その声が元気いっぱいだったから、顔も見ずに「明日の朝ねー!」って答えて帰った。深夜、出勤するとアキラのベッドは空っぽだった。いまだに後悔。
転移しないように片腕切断したのに全身にガンが転移して、もう余命短いマー君。苦しそうに私を呼んだからそばに行ったら「今日心臓の手術した子よりそっちが大事なのか!!」と心臓の先生に怒鳴られた。「意識もまだはっきりしていない安定してるオペ後の子より私はマー君が大事だよ!!」って思ったけど新人の私が言えるはずもなく、悔し涙を堪えた。
主治医を呼び出して「僕を大人にしてよ!!僕は大人になりたいよ!!」って直談判したサトシ。その数週間後に12歳のまま死んじゃった。
吐いた血で真っ赤に染まったアッちゃんのお洋服を病院で毎日のように洗う私。家に帰ればわが子の泥んこの13cmの靴を洗える私。
忘れられない子どもたちはまだまだいっぱい。そんな子どもたちを目の前にして「20年以上なんら苦しむことなく生きてこれたことは奇跡なんだ!」と初めて気づき「大人になれた私は、もういつ死んでも文句言えない」と思いながらずっと生きてきた。
そんな私がそれから40年たった今ものうのうと生きている。だから、病気だけでなく、通り魔に刺されようが、もらい事故で死のうが、偶然の災難にあって死んでも私自身は今さら何の後悔もない。
でも、残された人たちに後悔や無念の思いを残す死に方はやっぱりダメだよね。
残された人に「この人の人生って最期までホント幸せだったよねぇ」って言われる死に方ができたらいいな。
同級生の友だちから「みんなを看取ってから、最後に死んでね!」と言われ、それが自分の使命だとは思っています。でも、そんなのに限って一番先に逝くかもしれない。そんなときは葬儀で、私が幸せに生きてきた証の、選りすぐりの写真をスライドショーで流して酒盛りしてほしーい♡♡
私の人生ほとんど幸せでしたが、たった1回、地獄のような生活を3~4年経験しました。それは突然やってきた晴天の霹靂。現実とは思いたくない出口の見えないトンネルでした。でも、それを乗り越えることができたのは、自分でもびっくりするくらいの強靭な精神力と頑丈な身体。それを与えてくれた両親に感謝して、毎日「ありがとう」とお線香をあげています。
今では自分好き勝手に生きている私だけど、あの世で再会しても怒られないよね。