10年以上我が家で過ごしていた猫「さくら」が突然いなくなった。普段家の外に出すことはなかったが、天気が良かった日に裏口の戸を開け放していたすきに抜け出したのだと思う。
冒険したかったのだろうか。
元気そうに見えたが、寿命が近かったのだろうか。
動物は死ぬ姿は見せない、という。
家族に看取られるよりも、地域の猫仲間の中で死ぬことを選んだのだろうか。
人も、
「自宅で最期を迎えたい。」
「延命治療は希望しない。」など、
命の終わり際に望むことは人それぞれある。
まだ考えられなかったり、考えたくなかったり、考えても分からなかったりもする。でも、どんなことが望みなのかは、本人にしかわからない。
だから、命の終わり際をどうしていきたいかを、考え、話し、共有して、残すのは大事だ。
自分自身が望むように生ききるためにも。残される人が戸惑わないためにも。
そういう取り組みができる環境づくりが大切だ。
「さくら」は何を望んでいたのだろうか。
猫は人間の言葉を話せないもんな。
家を抜け出して今、どうしているだろう。足元から肉球をとおして土の湿り気を感じ、鼻先を若葉がくすぐり、そして見上げれば太陽がまぶしい。そんな今までできなかった体験を、猫人生の終わりにぞんぶんに味わっているのだろうか。
それが願いだったのなら、幸せになれたんだと思う。
最期の時を、どこかで生ききっていると信じたい。