令和6年能登半島地震が発生してひと月が経ちました。
災害派遣で輪島市に行く機会があったのですが、地震の爪痕に言葉を失うばかりでした。この地区は17年前にも大きな地震があり、その時に持ちこたえた家が今回は耐え切れず倒壊したそうです。避難所生活も2回目だから、こういうものだと分かるから大丈夫、とおっしゃる被災者に何と声をかければよいのか、多くの支援チームの来訪で心をすり減らしている様子も見られ、当事者にとって外部の支援とは一体何なんだろうという思いを消化できないまま、派遣期間は終了しました。
「そこに暮らす」ことの意味を深く考える機会でもありました。———自宅が住めなくなってもずっと暮らしていた土地からは離れたくない。合理的に考えれば別の地域に移動するしかないとしても、ここにいたい。住んでいる土地・家・近隣住民との交流はその人を形作る一部になっていて、そこから引き離されたら、自分でなくなってしまう———そういうことなのかなと。
地域包括ケアシステムのイメージ図は、本人・家族がどのように心構えを持つかという地域生活を継続する基礎を皿と捉え、生活の基盤となる「住まい」を植木鉢として描いていますが、本当にそうだなとすとんと腹落ちしました。
今回被災された方々が、一日も早くいつもの生活を取り戻せるよう心から祈っています。